最新の聖訓

天人教主 聖訓

                    2015(104 129

                    甲 午年十二月 十 日 巳 の刻

 

2015(中華民國104年 2 月2

帝極参)天字第025号

 

 

歴年来の各期正宗静坐班を検討してみると、西部班であれ、東部班であれ、離島の澎湖班であれ、金門班であれ、青年団あるいは春節の特訓班であれ、国際教区のアメリカ班であれ、日本班であれ、学習者は授業と指導および修持功課の薰陶のもと、みな進歩が見られる、特に四カ月百日間の基礎づくりの課程は、八週以下の特訓班と比べ、学習者の気質変化は更にはっきりとしており、本教に対する認識も更に深まっている、これから観ると、教化は深く人心に入らねばならず、やはり時間のかかる養成を経てこそ、功があらわれる。

  「修道者は車に満載するほどいるが、道を得た者は鳳凰の毛や麒麟の角のように稀有である。」古代の修道者は「法・財・侶(道連れ)・地」の四大条件がいずれも備わっていることを求めたが、これはどれだけ難しいであろうか。今同奮が修道するには、正宗静坐班に参加すればよく、各種の修持・救劫法宝が全て得ているるので、十分に自らを度し人を度すことができる、これは古代の修道者が寝ても覚めても得難たかったことである。同奮は真に天から特別の恩恵を受けているのだ。これにより歴年の学習者を観ると、知識を大切にして、これによって奮闘する者は多くいる、しかし法宝は得易いが、それを捨てて顧みない者も少なくなく、誠に慨嘆に堪えない。

  宗教が救世濟世を行う際、本来は差別がない、本教は教えには差別なく、智愚が平等であることを一向に主張して来た、ただいかに智者を更に謙虚精進させ、犠牲奉献に甘んじ、弘教の中堅にさせれば良いだろうか。いかにすれば愚者を引導して心を芽生えさせ、改心させ私欲をなくさせ、救劫の天命を承担させられるだろうか。弘化院・訓練団に関係する職位の同奮は、常に理と行による理解を充実させ、学問の素養と正気を提升させてこそ、道理により人を度し、徳によって人を服することができる、天帝教永遠の基礎は、ひとえに皆の共同での発心にかかっており、教えと学びが相まって成り立つことから始めなければならない。

 


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