最新の聖訓

維生天赦広化真人:聖

二〇一五(中華民国一〇五)年三月三十一日

帝極天字第0七三号

二〇一五(一〇五)年 三 月二十九日

  丙 申年 二 月二十一日 午の刻


維生の飾終大典と両岸和平祈祷法会は、人間界同奮・各界団体・友人が天極行宮に赴いて参加した、喜びのなか、特に心から感謝の情を表す。

「聖人は情を忘れ、最下級の者は情を現さず、我々一般人は情の中にある」と言われる、維生は苦難を多く受けた中国の知識分子の一人でしかないが、心の中は国家民族に対する熱情、友人仲間に対する友情、家族子女に対する親情、同奮たちに対する道情であふれている。もし修道が情を離れ欲を離れ、情が少なく情がないことを修めるだけであるというなら、維生は同意できない。本師世尊は:「天下蒼生を愛さなければならない、それでこそ天下蒼生を拯救できる」とおっしゃっている、このお言葉は前に言った「情」の字とは何であるかということであり、同奮たちは仔細に体得しなければならない。

生死は一大事であり、修道はすなわち生死の大事を解決する。管子の「枢言」には:「道の天にあるものは日であり、人にあるものは心である、従って:気があれば生、気がなければ死、生はその気による。」と言う。誠に、維生は自己の生命により管子の教えを実証した、同奮が得難い人の身を更に大切にし、本師世尊の教えられた五門の功課をきちんと行い、正気をよく養って、長寿となるよう願う、それでこそ生のある年において意義・価値・任務のある事をなし、この人生の旅を更に充実させられる。

維生の一生は決して名や位に構わず、何度も政治に従事する機会を拒絶した、英才教育に従事することを、平生の最も楽しい仕事としていたからである。天帝教道統第二任首席使者の任を受けた期間は、聖師祖お二人を受け、維生の道心は堅く正しかったが、なお七情六欲を持ち、凡心は死んでいなかった、ただ一介の平凡な衆生であって、貴い天爵を受けることはできず、また自ら身外身の封霊を修めることは不可能であったと考える。維生は天の命にお答えする時、何度も申し上げ、天爵を封じられることを固辞したが、道統には規律があり、聖命はお断りし難く、維生はただ自ら請いて位を下げていただき、「真人」の爵位をお受けした。今この事をはっきり申し上げ、同奮の疑いを解きたいと思う。

同時に総統府からは褒揚令、中国国民党からは獎章が授与され、維生は感謝している。ただ同奮は私の意図を理解して、功徳名相の執着を打ち破るように、みなは命を拝して凡界に下り天命のため奮闘し、役目を果たして、忠誠を守り、始終打ち勝てば、必ず生命の本源に還ることができる、これが何の功徳であろうか、また何の功徳が必要であろうか。

最後に海葬と飾終に参加した同奮たち、また飾終委員会の関係者、家族親戚に対し苦労をねぎらいたい。今後天上と人間界の親和交流において、共に奮闘し、また会う約束をしよう。みなを激励する。


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