入門の手引き

天帝教の精神世界

 21世紀は精神世界を重視した時代に入ると言われている。

精神世界は何世紀も前から宗教者・哲学者によって指導され現在に至っている。

 精神世界とは無形の世界であり、見る・触る事の出来ない"心"の世界であって誰でもが持っていながら見えない世界でもある。

 宗教的表現では"魂・霊魂"と言われているが、現代科学でも解明できない分野(未踏科学的分野)としている。

 無形世界を否定した場合、唯物論者であるとするが、新年の神社参り・盆の墓参り、この行為は先代からの習慣的な行事だと言い切れるのであろうか。

歳老いて病に侵され、又は不幸な状況に立たされた時に神仏に祈る。無形世界を否定している唯物論者であっても、誰もが平等に終焉を迎えるころには、我が身を振り返り先祖を思い、最終的には神仏の存在を意識するものと考える。

 

 精神世界を重視し、より解りやすく指導する為に宗教や哲学が有ると言っても過言ではない。

 その指導内容は、人としての道徳観念拡大を求める神仏の意思であり教えであり、より幸せに成ることを望む神仏の慈悲でもある。

 現在世界にある5大宗教と言われる各宗派の根源とは、全宇宙を主宰する唯一の存在からの使者であり、天命として地球に降臨し、地域環境に即応した指導方法を持って布教されたものだ。

 

 21世紀に入ろうとしている現在、いまだに宗教戦争が続いている事は既に神仏との絆が閉ざされているものと判断される。

 宗派として膨大な組織が有るが、神仏との絆が切れた事により、指導者の主観が導入され、派閥が増大したと言われている。又、現代の宗派の多数は何十世紀も前の時代に即応した教えであり、地球規模の重大な劫運に、早急に対応出来るような、劫を救うための真の宗教はどれほど存在するであろうか。 天界の組織からの直接指導及び、検討会議できる宗教団体は究めて希少な存在である。

   

精神世界を探究する修道者、又は入門者の段階。

   

 宗教に足を運ぶキッカケには次の様な事柄が多い。

  1. 現状の不幸(不運・病気等)から脱出したい。
  2. 精神世界を探究し自己を高めたい。
  3. 霊媒的意識を感じ修道を求める。
  4. 哲学の探究に限度を感じ神仏の世界に求める。

 

 特に病気や不幸現象の問題を抱えている人が大多数を占め、入門し不運な運命を吉祥に変える為に入信。

 又、不運の原因となる意識の改善を勉学し、一日も早く現状から脱出できるよう自己の改善を行う。

 自己の意識に関係無く、霊を感じ見えたり聞こえたりする人は、その現象に自己を見失う事も多く、精神世界を重視し、無形組織の実態を追求すると同時に、神仏の意識を関知できるまでに修道し、自己を高めたいと求める。

   

修道の段階

  1. 不幸現象の原因と解除。 
  2. 神仏の意識に感応し、他人に対し手を差し伸べ救人の任を負う。
  3. 人心の乱れから発した地域的業(重大天災)の軽減を祈祷し、衆生の平和を願う。
  4. 神仏と交流し、現在の地域・国・世界全体の改善方法及び手段の啓示を世に伝 え、業難回避を目的とする。
  5. 座禅により宇宙の中心の「気」(祖気)を導入、心身の健康を図る。
  6. 国別の年間の劫精算と回避活動方法を知り、民衆の指導を計る。
      

輪廻の目的と意義。

  

 輪廻の最終目的は、神・仏・仙・尊となり天界に帰る為である。

現在肉体を持っている人間全てが修道段階であるといえるが、人間全てが神からの魂を持ち、人間全てが神に成れる資格を有するものである。

 輪廻からの脱出とは、神としての修道の第一段階に至ったと言うことであり、過去の債務を返済することができる神の慈悲でもある。

 この神の慈悲策も核による戦争は、地球崩壊と共に魂自体の消滅となるため極めて危機的状況であると言える。

 この悲惨な状況は人間界に止まらず天界迄も巻き込み、闇一色の世界に成るであろうと警告している。

 宗教界の指導者は、輪廻からの脱出の機会を与えるべく核廃絶の祈祷や祈願また平和運動に積極的に参加することが急務であろう。

  

祈祷祈願の力量

  

 どの宗教にも各々の祈祷・祈願がある。主に行われている行事は先祖供養と厄払が主であろう。又、祈願も自己の福を求める事や、運勢の開運に終始し、他力的願望者が大多数を占め、自らの意識改革の指導は無きに等しいであろうと推測する。

 本質的に自己を改善することが無く、反省の機会も無ければ神仏への恩恵を忘れてしてしまうであろう。

神仏を求めるには、神仏から認められる清い心に改めなければならないが、物欲が掻き立てられる環境下において、現代人の感覚ではなかなか理解されることは難しい。また求めようにも、教科の範囲が広く、正しく明快に指摘する教科書とされるものが極めて少ない状況である。

 

 天帝教での祈祷は、人類、社会、国家、世界平和安定に終始し、個人の福を求める祈祷、祈願は皆無で有る。

 修道者の求める福、徳とは、神仏が求める意思を形として表わし、衆生の模範となる事であり、その状態が辛く苦しい場にあっても、不幸とは思えない世界に到達する事である。

 自己犠牲ではイエスキリストが代表的で有るが、その犠牲とは、衆生に対しての感化であり指導である。本質的修道とは、俗界に身を置きあらゆる誘惑に立ち向かい、日常の生活中における全ての事柄に携わる事であり、人となりの正しい精神、行動を通してより多くの人心を正し、感化することが最も崇高であり、神仏からの評価に値するものである。

 

 天帝教の謂うところの祈願とは、特別に設けられた聖域において、自然律を変化させるまでのエネルギーを有する唯一の絶対的存在(宇宙の主宰神)に、地球破滅の時期の延長を願い、衆生のための祈りを発信する事である。

 天帝教での個人的な主な指導は、自己の神性を見い出し模範的人間と成る事であり"生きながらにして神仏となる!"を目標とする。 

 天帝教では信者とは言わず"同奮"と言う。神仏と合同して衆生の為に入門者全員で奮闘する。と言う意味である。

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