極初大帝: 聖訓

一0 六年 二 月二十七日
丁酉年 二 月 二 日 巳の刻

弘教救劫は財がなくては行うことはできないが、天帝教が一貫して営利事業によって教財を求めず、建教の時から信徒同奮に奉献を求め、また「
清白教風」・「勤倹建教」によって公の信頼を集めていることは、同奮が喜んで長期に亘り奉献を続けている基礎になっている。
光理首席使者は事業経営の経験から「安悅奉献」の方式を調整する一方、 廿字祈福・奉献委員などは保留して、教財収入を増加させる計画である、私はその成功を楽観している。

 

 


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本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。