先天一炁啟玄子:聖訓 157号

二O一七(中華民国一O六)年六月四日
(106)帝極(参)天字第一五七号
二O一七(一O六)年五月十八日
丁酉年四月廿三日 申の刻

「大道は無名、大相は無形」、大宇宙が創生してから、「自然律」に基づき、運行が行われていて、「乱」が生じても、その運行は続けられる。乱という現象は、有形または無形において、その運転のバランスが崩れて、自然律に沿わなくなって運行が進められる状況だが、それも宇宙法則の中の自然の状況とは言える。

 宇宙の中にある「自然律」は、無生聖宮に居る諸先天一炁上聖高真より凝集されて成り立った規律で、 無生聖宮及び 宇宙主宰玄穹高上帝より育てられ、融和されて運化したものだが、 上帝は依然、自然律を「調和」する無上法権を所持している。

 「生があるこそ、滅がある」は自然律の基本法則である。宇宙の中で何れかの星系が滅びかかった場合、その一方で、新しい生機が現れてくる。「三期末劫」と「自然律」との関係から言えば、一つの地球が三期末劫に瀕する場合、その領域の生命体は既に上向き上昇できなくなり、返って下向き墜落し、「心物一元二用」法則から偏っていく。この時、知恵と生命があるその地球は、自ら窮地に陥っていき、その時、 上帝が天命を持つ使者を派遣し、その地球生命体を生機のある境界へ連れて行き、もし危険から安定に転化させることができるのであれば、その地球の生命体は生まれ変り、または再造する生機を得ることができ、そして三期末劫を無形において解消することができ、地球も持続して運行することができる。もし、力が発揮できず、挽回できなかった場合、最終的に三期末劫が起こる道へ歩んでいくことになる。自然律も炁体へ分解されてしまい、他の炁体と再び融合し、新しい状態に集成し、その時の極子の働きはそのエネルギーを新たな生命星体へ入れ込むよう、調整することにある。

 自然律はなぜ絶えず運行できるか。その源は聖宮の炁である極子のエネルギーから始まる。「極子」の中に無限の「鐳炁」と「玄玄一炁」が存在している。極子の働きの過程では、先天・後天の状況に基づき、この二種類のエネルギーを放出し、調整を与えて、そしてバランスを維持し、常に自然律の状態で運行を保たせる。「壊」と「滅」は、共に自然律の働きで、云わば、「生があり、死もあり、死になって再び生になる」である。

 

 


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