極初大帝:聖訓
二O一七(一O六)年十月二十日
丁酉年九月一日 午の刻
丁酉年下元龍華会は発動され、無形より神職への考課も全面的に展開された、無形での考課重点を以下のように分けて述べる。
一、神職天命に符合し、教職職責を果たしているか。天では「実務」の考課を優先にする。例えば、枢機使者は、教区の責任を担って、当該教区の弘教、道に対する研修、原人の引渡並び教区の長期発展などに関して、無形が「その名の通り」であるかどうか、考課を行う。
二、廿字考課、教則力行をしているか。廿字奉行、教則遵奉を身を持って力行しているかどうか。例えば、名を重視して、私を重視して、多くの人に対し、ひたすら公正な気持ちを持ち、大我に帰依することができなければ、これは「名声を追求する」、「功徳を横取りする」のように現実に相応しくなく、「自己のためを打算しない、個人の福を求めない」の守則に違反することになるので、「私心を取り除き、天理を保つ」を謹んで銘記する。
三、「容の大なるあり、欲無きにして則ち剛なり」。逆に、打算を尽くし、物事を他人になすりつけ、担わない、度胸と見識が不足して、諸事を企んで、臆病で、また幽霊におびえて、正気が足りなく、次から次に疑って不安であり、人事昇格に意を用いると、無形より重い懲罰が与えられることになる。
四、情から発して、禮に止まる。「道情」、「道愛」を曖昧にし、私情を混合し、「道の風紀」に影響を及ぼす。神職は同奮への関心が「正大光明」、「清廉潔白」、「清々潔々」であり、個人的な感情を加えない。道紀に違反すると、無形も厳格に懲戒を与える。
五、本年の神職は「天命を以って人命に換える」の人数が特に多い。私は特別に 上帝様に忠誠を尽くし、天命のために働くよう推薦するので、積極的に奮闘し、犠牲奉献をしなければならない。和を持って尊しとなす。私情に迷わされ、人を騙すことをしてはいけない。奮闘の持ち場で戦戦兢兢、なすことがあり、守ることがある、天を知り、命を知る。口徳を修め、養生を重視しなければならない。無形では既に調霊、調体を行っている。天恩に感じ、天福を惜しみ、天命を維持し続ける。
この小誌はドキュメントであり、フィクションでは有りません。
本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。