無始古佛:聖訓
二O一七(一O六)年十月十四日
丁酉年八月廿五日 未の刻
風雨は自信を生じさせる。行劫である風雨の天災に直面する際、堅くて変わらない心は重要になる。疾風に勁草を知り、道が遠ければ馬の力(の強弱)がわかる。一人一人の同奮は共に原人で、教主 上帝様の伝令兵でもある。風雨の打撃に怯えず、風雨に道を障害されない。奮闘の信頼心は変わらない。同奮の道力、願力、心力を凝集して、化延できない劫はない、退治できない魔はない、取り除く妖はない。「信・願・行」は万魔を除き、万邪を斬り、万妖を破る最も有力である道の器具である。
道と魔は消長し、循環して止まりない。ある少数の同奮は心に動揺が生じ、魔の気風に駆使されてしまうが、無形における救劫部署が同奮の身体に印記を植えてあり、霊覚を守護している。一時的な低迷はただ道心を磨いて激励するだけである。天帝の教化は無党無偏で、誰かだけを覆う(私覆)ことなく,誰かだけを乗せる(私載)ことなく、「人心と天心は通じている」、「心に印記を押す」、すると自然に凡心から道心へ転じ、同奮の奮闘の位置に再び戻る。同奮の修道は本心を悟ることになる。近道に頼らず、スピードを求
めず、更に神通に戸惑わない。真面目に修行し、確実に反省、誦誥、静坐を行うこと。
小道、小術は到底、長く続かない。唯一、「正大光明」だけが天地正気であり、三期末劫の中から影響を受けない。救劫の先鋒として、今「万事救劫より急ぐべきことはない」の時機に相対する時、行劫の魔の気風があちこちで引き起こされることは、同奮にとって、更に様々な試練になる。「万法はただ心のみである」、修道、救劫共に、「心」だけに修行の技を用い、おろそかにしてはいけない、また焦点を移してはいけない、皆の心が一つとなり、同心救劫、迂回屈折後、新しい転機が必ず現われてきて、その功績は無駄にはならない。
この小誌はドキュメントであり、フィクションでは有りません。
本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。