先天一炁玄福子:聖訓 508号
二O一七(中華民国一O六)年十二月廿二日
(106)帝極(参)天字第五〇八号
二O一七(一O六)年十二月十七日
丁酉年十月三十日 酉の刻
第十六回天人実学研討会は円満に終わり、参加した同奮は喜び勇んで、お互いに頻繁に発問し、主催部門も非常に心を使った。
水を飲む時は、その水源を思う。初心を忘れてはいけない。
天人合一「真修実煉」は、多方面に交流を重ね、物事の特徴に念を奪われず、物事に執着しなければ、必ずや別の境界に達するであろう。
基本の腕前を造築するには、まず静坐の基礎を打ち立てること。
人身には肉身がある。七情六欲の邪魔は一切自然に任せる。自然に任せることを変えぬことで、静坐修身の重要性が自然にわかる。「心にあるゴミを掃除し、静坐により性中天を作り出す」
煉心は初歩であり、また手を下し始める所でもある。恭しく自ら静坐をして、それを研究することは道案内の灯火でもある。
静坐は、人が水を飲む事と同じく冷たさ暖かさは自分でわかる。定めた時間に静坐をし、生命の中に溶け込ませ、生活の中に溶け込ませ、深くその境界に入る。もし、一旦、後天の感覚器官の知覚が落ちれば、先天と連結する道は切れてしまい、昊天心法を手に入れることは容易ではない。
一日座り、毎日座り、永久に座り、足が地について行く様に、着実に時間どおりに静坐をして、その腕前を長い時間にわたって少ししずつ積み重ねれば、月日が経つうちにその真相を見出すことができる。
昊天心法は、生き生きとして、又、おのずから自然になり、人為的な作用を少しも加えず、時勢に順応し心を込めて静坐をすれば、体の病気を取り除き、長生きができ、修身修霊、一挙両得である。
この小誌はドキュメントであり、フィクションでは有りません。
本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。