極初大帝:聖訓 511号
二O一七(中華民国一O六)年十二月廿二日
(106)帝極(参)天字第五一一号
二O一七(一O六)年十二月十八日
丁酉年十一月一日 午の刻
われは副帥として「大逆転」が発揮された状況を説明する。
一、三期主宰は主帥として、「五十九回あまりの三期を主宰」された経験を生かし、この本地球が目前に無知な世界(小混沌)に直面する前に本系統の星を速やかに救助する為、「大逆転」を施行された。われは「鐳炁真身」の修錬と修持の成果に融合させるのだ。なぜならば、同奮は心構えがある。「両誥奉読」の浩然正気と呼応したことに借り、「大逆転」は順調に円満に終わった。
二、「救劫より急ぐことは他にはない。」同奮達の修持修錬は一刻も遅らされてはならぬ。「真修実煉」「性命双修」がなければ肝心な時に、ただ「人」を転介点とすることには不安定性がある。「すべての法力はただ心にあり。」今日全教同奮達は犠牲奉献の心構えがあり、五門功課を実行し、両誥奉読を行い「身を捨てても奮闘するのは自分自身の為ではない。」われと同奮とは心と心を合わせ、心と心がつながり、そして霊と霊を一つに合わせ、霊霊相応、天心は人心とつながり天人一体となって任務を完成させた。
三、「両誥奉読」は救劫の神通力のある宝物であり、同奮が「自分のために思い巡らすことをせず、個人の福報を求めない」表現でもある。引き続き人生守則を奉行し、廿字真言を修身の規準とし、正しい目標に向かい修持をする。常に継続に静坐している同奮の気は体内に留まり全身に回り、心は容易に外に出ない。霊の昇格作業に適応する。普段はあまり静坐していない同奮は堅い気性が外に現れ、心が動き易く、怒り易くなる。霊の昇格をする時には身、心、霊の調和が良くとれない。「静坐の腕前」を強化して気の涵養を行う。心を体内に集着させ、静坐をして智慧を啓開せれば、修行に有利になる。
四、「大逆転」の大きな法力は道運、世運と気運を連結し、三つの時間、空間のつながりをつけ「宇宙が清く澄み渡れば」「混乱をしずめて正常に戻す」ことができる。聖宮の鐳能(エネルギー)は一つの大きな助力である「陰陽の炁はひと触りすれば、すぐにも正か邪の判断ができる。」正炁をふさわしく発展させ、法界での気は共に連結させ、補助的な中帥であれ共に同時に運行させれば「大逆転」は円満かつ功績を得ることができるのだ。
まさに「天運、人運、道運」を取り返す時の始まりである。
この小誌はドキュメントであり、フィクションでは有りません。
本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。