極初大帝: 聖訓 525号
二O一七(中華民国一O六)年十二月廿九日
(106)帝極(参)天字第五二五号
二O一七(一O六)年十二月廿六日
丁酉年十一月九日 申の刻
今日は本教の伝道節である。伝道節とは天帝教首任首席使者の回帰自然の
記念であり、これはわれの肉身が人間界ではすでに生きるのに耐えられなく
なり、教主 上帝に召し帰された日である。
同奮は肉身があってこそ、仮を借りて修真をすること知るべきである。よ
って、修行上にて突破することが比較的容易である。いわば:「人身は得難
く、地の中で生きるのは困難である。」、この言葉の中にはほのめかす意味がある。同奮は「昊天自然大道無為心法」を修習する時は、身、心、霊一体化の工夫(腕前)を把握して、七情六慾の束縛を突破し、「修真–登真(真に登る)」により、本(もと)に帰り、原状に復して、根に戻り、命に復する。
「生前に修行しなければ、死んだ後はまったくどうする事もできない」。
同奮はこれを知り、これを行う。目前を把握して、再び無限の霊命を造り出
す。われは一生にて「身を捨てても奮闘することは、われ自身の為ではない」。道(タウ)の教務に尽くし、修道の心は常に庶民と繋がり、「庶民」と互いに頼り合い、確固不動の奮闘心は一刻も動揺したことはない。一つの耕しで、一つの収穫を得ることを信じて、削ったり磨いたりされことに耐られることで、ようやく大きな任務を引き受けることができる。
天が決心すれば人に勝つ。しかし、人が決心すれば天に勝つこともできる。
同奮は現段階の外在環境に直面している。「道心」を把握して、教則の廿字
を奉行し、人生守則を努力して実行する。生活と修道と救劫と弘教を同時に
行い、内外共に修行して、身、心共に鍛錬し、家庭の試練、道の試練、行き
詰まる試練(磨考)を突破して、奮闘の心を上昇させ、「伝道」の真の意味を
伝承させること。
(訳者:緒錬/校正指導:正賞)
この小誌はドキュメントであり、フィクションでは有りません。
本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。