天人教主:206号 極初大帝:207号
天人教主:
二〇二三(中華民国一一二)年六月八日
癸卯年四月二十一日 午の刻 第206号
宗教の教育訓練と全体の課程計画は,まず「入道・知道・信道」の初歩階段に達し,その後に「教風」が教育訓練の成果を体現する。
教化は宗教の本質であり,心霊を精進し提升させるのが課題で,天帝教の同奮は心を起こし念を動かし,言語行為は心を正し鋭さを蓄えることを要とする,道徳を論じるには,大経・大法・大宝の親和を研修すれば,自然と道心は凝聚し,道気は興隆し,天帝教の教化は盛んになり教風を創る。
極初大帝:
二〇二三(中華民国一一二)年六月八日
癸卯年四月二十一日午の刻 第207号
私は無形に居し,精神親和によって天命の救劫使者が持続して救劫の天命の任務を奉じて行うのを指導している。
天帝教の同奮の救劫精神は祈祷兩誥奉読と修持精進にあり,蒼生を思い浮かべ,大公無我により正気の力量を発揮し,奮闘してやまない。
私心を去り,天理に存して,人生の守則を勤めて行なうのは同奮が修持を鍛錬し,絶えることなく内在の涵養を提升させていく功課である。「先に人道を尽くす」は「心を正し身を修め,家を治め国を治める」ことにあり,基本の生活を維持し,淡泊な名利を保持し,清心寡欲をなすことである;「更に天道を修める」はすなわち「功徳を累積し,救世渡人する」ことで,進んで急頓法門により修持し,「自分のために思い巡らさず,個人の福報を求めない」,一門に深く入り,三期劫運を搶救するのは,自分以外に誰があろうかと考えてこそ,真の天命の救劫使者である。
人身が得難いことを把握し,曠劫難逢の法緣により,初心を保持し,練磨に負かされず,天に体して道を行ない,末劫を化延して蒼生をあまねく度化せよ。
この小誌はドキュメントであり、フィクションでは有りません。
本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。