天帝教極院 聖訓

席督統鐳力前鋒:                     

二〇二三(民国一一二)年十二月二十九日 

癸卯年十一月十七日 午の刻 434号

 気運は推移し,世界情勢は変化が多く,時代の潮流はこれに従って変わり,変は動であり,動は変であり,万有動力はすなわち宇宙運行の理である。

 人間界の天帝教は時代環境の変動挑戦にあい対し,首任首席使者の言教・身教・心教により奮闘の方向を体得しなければならない。曰く:師とは,伝道・受業・解惑するゆえんである。惑って師に従わず,そのため惑いも最後まで解決されない。天帝教の「伝道節」においては,門人弟子が本師のあとに続き,道統を尊し,師訓を遵守し,三銘に学参せよ,本師首任首席使者は三奮を勤めて行うに際し方向を指し示す灯りとなる。

極初大帝:                           

二〇二三(民国一一二)年十二月二十九日 

癸卯年十一月十七日 午の刻 435号

 天帝教の伝道節は,二十九年前私が証道し天に返った日に定められた,生死は大事で,世の中に天を頂いて立ち,個人の天命・使命を知り,時に及んで時間を掌握し今に生きるように。

 今日は伝道節であり,同奮は私の志を思い,天下蒼生を拯救するために努力せよ,天下の憂に先んじて憂い,天下の喜びに遅れて喜び,衆生の福祉を優先して,衆性衆霊が核戦争により玉石俱に滅びてしまうことを避け,天心の仁を体し,親しきに親しみ物を愛して,生して止まないように。伝道節には我ら同奮が得失に明らかとなり,栄辱を知り,教則を奉じて行ない,善念を信じて守り,社会の風気を起こして, 修心養気し,徳を天命に配し,自ら伝道行道できるようになることを望む。

 道はここにあり,遠くに求めなくてよい,わずかな間に自ずと道の意味が含まれていて,天を体し道を行なう,天帝教を闡揚するのはすなわち伝道であり,全ては個人が修行のわざを用いるかであり,それが道の前途を決める。

極初大帝:                           

二〇二三(民国一一二)年十二月二十九日 

癸卯年十一月十七日 午の刻 436号

 二十九回「伝道節」は,世運と人運が急激に変化する中,人間界で三大天命のために奮闘する過程を回顧し,「天人三宝」に意を込めたものである:

一、皈奉帝宝,效忠宇宙,道化天人,回帰自然。

二、皈奉道宝,尊崇道統,循行三規,永矢天人。

三、皈奉師宝,忠侍正宗,学参三銘,堅守天人。

 先天天帝教が本地球に復興し, 上帝は「人間界に教基を立て,宇宙の先鋒となる」天命を託された,「天命」とはすなわち時代の潮流に応じて,天心と民心を媒介し,人生の責任と価値のために奮闘することである。 救劫使者の共同の天命はすなわち天帝教の時代使命の完成であり,時代使命は時空環境に応じて,「生してやまず,民を思いやり物を愛する」の核心精神を保持し,時の共に進んで,宇宙「創造」の定律に合致するように。

首席督統鐳力前鋒:                     

二〇二三(民国一一二)年十二月二十九日 

癸卯年十一月十七日 午の刻 437号

 伝道節の日は「思粥」節日であり,首任首席使者の勤勉倹約を追憶し,帝徳を闡揚する。

 天帝教の教化を普く行ない,門人弟子が師の志のあとに続いて,困難の中で切磋琢磨し,食から,口から,更に心から,身心一貫して,身・心・霊が同時に浄化され,食事の来るのが易しからざることを思えば,深い意味を悟る。

 生命の維持はたやすくなく,人間界で食糧危機が発生することを考え,安きに居りて危うしを思うべきである,備えあれば立てるので,天命の救劫使者は常に憂患意識を存するべきである。

 多変・多元の春期にあい対し,更に「覚世興仁」・「克配天命」・「徳才兼備 」して悟りにより人を度し,仁により人を化して,徳により人を服してこそ,的を射ている。

三期主宰:                        

 二〇二三(民国一一二) 年十二月二十九日 

癸卯年十一月十七日 未の刻 442号

 三期末劫の核戦争の威脅は,大国より小国に至り,小国の核兵器実験が核戦争の危機を引き起こす可能性がある,核劫はまだ定かでなく,一触即発であり,人間界はなお同奮の救劫理念を強化しなければならない。

 現今の国際情勢では二大戦争が存在しており,上天の生を好む徳は,媒壓・媒挾の力によって,戦争の持続拡大を止める,時は癸卯年十一月に入り,金闕天徳道院は十二月一日に年会を召集し,癸卯年巡天節の行程を決定した。

 極初大帝は帝教総殿を主催し,国際的危機にあい対する,外在の環境は奇異で変化に満ちている,春期の無常に相応しており,救劫弘教,親和奮闘は,天と人の帰する所である。

首席督統鐳力前鋒:                    

二〇二三(民国一一二) 年十二月二十九日 

癸卯年十一月十七日 未の刻 443号

 「反省懺悔,間違いを認めて改める」は天帝教同奮の日常奮闘の基本功課であり,師から戒めと,原則を引き出すように,天帝教の同奮は「教則」の「教約」を反省懺悔の基準として,性功修養を実行し,自らを高く考えるのは修道の忌である,虚心に反省して,善が小さいからと言って為さざるはなく,悪が小さいからと言ってなすはなく,天下蒼生のために祈祷せよ,人心が善に向かうのは反省から始め,習慣は小さい事から発するので,慎重に思考してから行うように,聖賢になることを願うには,まず反省懺悔より始めると,心の意念や欲望は自然と少なく簡潔になる,凡心が死ねば,道心が生まれる,道に入ったと言える。

金闕特上相文昌帝君:            

二〇二三(民国一一二) 年十二月二十九日

癸卯年十一月十七日 申の刻 445号

 極院青年団体指導委員会は「道法自然堂」の設立を準備する,無形の司職神媒および光理首 席使者と諸々の同奮が参与し,人間界の接引と青年学習者の教化を重視する。

 青年学習者は赤子の心を保ち,上帝の真道教化を受け入れ,人生の守則の道徳情操を勤めて行ない,国と教の傑出した人材となる。

 目下の学園の環境は変化しており,善良純樸な雰囲気はすでに失われている,青年学習者は更に宗教による教化が必要であり,親和弘教により縁人を接引せよ,それでこそ人が教えを広めることができるのであり,教えが人に広まるのではない,道は自然に則る,持続して奮闘せよ。

崇仁大帝:                          

二〇二三(民国一一二) 年十二月二十九日 

癸卯年十一月十七日 申の刻 446号

 道法自然学堂を建立するのは一つの新機である,誠意が至れば,金石さえ開く,志のある者事は最後には成る、

 非天帝教家庭の青年学者者を接引する先は,やはり大学高専であり,南部地区新境界の宗教哲学研究社が見本である,創業は容易ではなく,成ったものを守るのは更に難しい,堅持してたゆまぬことを貴しとすれば,遂には雲が去り日を見る時が来る。

 縁人の引渡には天人間の相互協力が必要であり,人間界が積極的に宇宙大道を宣揚すれば,無形の媒圧により縁人がやって来て親和できる。

首席督統鐳力前鋒:                    

二〇二三(民国一一二) 年十二月三十一日 

癸卯年十一月十九日 申の刻 448号

 天帝教は劫運化延の宗教であり,四十余年を経て,全教の同奮の長期に亘る誠意を込めた祈祷により,天下蒼生のために劫難を化延し,不可思議な顕化を産んだ。

 劫運化延には二つの方向があり,一つは同奮の奮闘による化劫で,人間界の世人も善に向かい善を行なうことが分かるようにして,人間界の劫気を化延に達しさせ化解化除する。もう一つは不断に延期させることであるが,人間界は不断に悪業を蓄積しており, 陰濁の気が大気に充満して,劫運の力を強め,人間界で更なる混乱を作り出し,世界情勢は危機的になっている,人類が直面している生存への挑戦は日に日に増して,人類だけが集団で覚醒できる,私心偏見を放下して,天に向かい奮闘し,自然に向かい奮闘せよ,劫運を化延してこそ全人類・万性万霊に自らを救う機会を与えることができる,さもなくば毀滅の劫を避けることはできない。

三期主宰:                           

二〇二三(民国一一二)年十二月三十一日 

癸卯年十一月十九日 申の刻 449号

 平和の要件は多元充足の観点から見ると,衝突と対話が行劫と救劫の一体両面であるかのようである,救劫力量が増強されてこそ,平和には光が差し,行劫の力も転化されて救劫の助力となる。

 目下劫運は緊張の対立局面になっており,天人はいずれもいかんともしがたいと感じている,劫運の気を転化させるには,衝突の中での対話を思い,一念一念善に向かい,一念の転回で,春期に元からあった濁を刺激して清を浮き上がらせる過程を起こさせ,人心の善を啓発し,戻気と民心の混乱を調和せよ。

 

 


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本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。