天帝教極院 聖訓 聖訓294号
極初大帝:
二〇二一(中華民国一一〇)年八月二十五日
辛丑年七月十八日午の刻 聖訓294号
全教救劫弘教統計資料について,指示する:
「救劫」部分,ネット上の誦経活動を企画して,同奮の奮闘の心を維持しているが, 無形の観察では,人間界の救劫士気はなお脆弱であるので,精神的指導により,再度道心・信心を起こし,強大な救劫正気の力量とせよ。
「弘教」部分,減緩状態に処し,前もって弘教方針を計画し,弘化方案を定め,信心を凝集すれば,おそれるところはなくなる。
慈恩聖母:
二〇二一(中華民国一一〇)年八月二十六日
辛丑年七月十九日申の刻 聖訓295号
維光枢機が自然に回帰し,従属の小組に護持され,清涼聖境まで接引され,浄霊・安霊される。
天にえこひいきはなく,徳のみが助けとなる,天道は大公無私であり,今日維光枢機使者が天に帰ったのは,なお天律の法則に従っており,当然深く明らかな大義である。
維光枢機使者は正大光明を奉じて行ない,清明な模範である。人道においては映画の発展に志し,台湾海峡両岸の交流を推進させ,後進を抜擢し,人道に尽くした。本教の復興初期において,道の糧を奉献したことは,首任首席使者の「人間界に教えの基礎を固める」重要な鍵となった,残念ながら修持には努力が足らず,本師極初大帝在世時には常に忠告された,天に帰る時に持って行けるのは「功と過と自身の修持の技である」というお言葉は,真実である。
維光枢機使者はその先天の願力により凡界に降り救劫した,本師極初大帝は維光枢機使者の元神が始めて目覚めた時,目前の世界の劫運の勢いを示された,維光枢機使者は突然「三期末劫はたいへんに危急である」と悟りを開き,感嘆して一生力を尽くして努力した,人道上は成就したが,救劫の大業には助力が少なすぎた。
本師極初大帝は指示された。「維光枢機使者は清涼聖境において四十九日間養霊し,更に適切な煉霊場所に転じて,一歩一歩まだ尽くしていない天命を完成する。」
維光枢機使者が感じて述べたことを伝える:「各界および同奮の関心に感謝する,生があれば死があり,死があればまた生がある,今私は李行監督の身分を放下して,人間界に留まってもよいのだが,しかし劫運がこのように深く重いことを見て,私は人道では成就した,しかし今修持の熱準がなく,心に力不足の感を残している,これは人身が得難い修持の機縁であることを大切にしなかったことによる,養霊と修煉を待って,また劫運のために奮闘したい,願わくば同奮が深く『曠劫は逢い難く,人身は得難く,真修実して,善く救劫使者の本分を尽くすこと』を体するように。
この小誌はドキュメントであり、フィクションでは有りません。
本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。