天帝教極院 聖訓 聖訓570号

首席督統鐳力前鋒:  

伝示日時:二〇二〇(一〇九)年十二月二十三日
聖訓570号庚子年十一月九日午の刻

本教の復興四十週年に際し,人間界では人曹道場の天極行宮で全教オンライン祈祷および慶祝活動が挙行され,皇誥の救劫法宝実力を現わした,四十年來,同奮は長期の祈祷により,二大時代使命と玉霊殿三大特定任務のため力を尽 くし奮闘して来た。

 一九八〇(民国六十九)年十二月二十一日の復興から今に至るまで,三期劫運はいまだ止まらず,全教同奮の正気の力量は,応元救劫神媒の応化に呼応して,第一時代使命―核戦争の危機を何度も危から安に転じ,第二時代使命は鍵となる時期に入っているが,今後なお全教同奮の積極的な奮闘により無形に応化することが待たれる。

 個人においては,内心の反省懺悔による過ちの改めを重視し;組織においては,検討改進に重きを置く,無形組織と有形組織,乃至教徒同奮の個人修持の熱準は,相互に関連して,密接で分けることができない。無形組織は本年度すでに検討ならびに調整を行ったが,人間界で真に着実に総検討を執行したものは,相当に限りがある,この案は庚子年巡天節における専案会議において決定が下されることになっており,天人の関係は無形の応化により,有形が「呼応」することが原則であって,時代環境の精進調整に適応し,救劫弘教の大業を永続されなければならない。

先天一炁玄霊子:  

伝示日時:二〇二〇(一〇九)年十二月二十三日
聖訓574号庚子年十一月九日酉の刻

先天天帝教は道統第五十五代天人教教主の誠意を尽くした祈求により,道統始祖宇宙主宰玄穹高上帝のお慈悲が下り特に人間界に降臨することをお許しになった,歴代の首席使者が全教同奮を率いて持続不断の努力奮闘したことにより,教えの基礎を打ち建て,教化を厚く内容のあるものとして,真道を伝布した。

宗教の教化はすなわち持続不断であり,全人類乃至各天人に,天帝真道の薰陶を受けさせ,精神的認知を提升させ,深く精神修持に入らせ,真我を新生させ,本源に立ち返らせる。

 天人文化は有情の衆生を教化する学びのもとであり,無形と有形の間の共通認識を打ち建て,天人間の思想距離を短くする,真道が人間界に伝示され,人間界において真道が根を下ろせば,自然と「聖凡平等・天人大同」の境界が生まれる。

 教義『新境界』:「人類が神に及ばないのは,智慧が及ばないのであり,修養が及ばないからであって,根本的に及ばないものはない。天人文化は智慧の教化であり,修養はすなわち実修の展開であり,いかにして凡人から人神の境界に入るかは,教化と実修の道を通して行われる,水が流れると溝ができあがる, 自然無為である。

 本教の天人実学は時代の趨勢と環境に適応した法門で,自らを渡し人を渡す,自分自身から始め,真修実煉して,知行合一となり,道に入ることができる。

先天一炁玄福子:  

伝示日時:二〇二〇(一〇九)年十二月二十三日
聖訓575号庚子年十一月九日酉の刻

私は帝教総殿‐天人合一院の主持である,今天帝教復興人間四十年に際し,四十年來を総観すると,同奮は多く正宗静坐の縁により,救劫弘教の奮闘隊列に参加した,天人合一を志す者の何と多いことか。私は無形の考査と人間界の報告する天人合一研修資料を監査し,人間界で天人合一を建立する方針を示す:

 一、大多数の心ある同奮は人道の試練を受ける,静坐は「常に中断してしまい続けるのは難しい」。提示する:静坐は日月を重ねるものであり,保持すべきは-忍耐心・信心・恆心・誠 心・勇猛心・精進心である,不断に持続して,毎日一回以上座って保持することが基本的に求められる。

 二、天人合一総原則,『法華上乗正宗静坐基礎教材』・『宇宙応元妙法至宝』 および首任首席使者の静坐班と五十五日間の閉関訓練の講話。提示:「自然無為」は根本原則であり,それ以外に正式な伝授を経ていない修煉法は加えない, 一門にそって深く入る。

 三、天人合一は神通感応を追求しない,あらゆる相はみな虚妄であり,見て見ず・聞いて聞かずを保持し,過ぎれば留めない。 提示:同奮は日常身を電光石火の中に置いている,後天の意識は直接あるいは間接の邪魔を受けやすい,静坐の際には意念の浮き上がりが形成され,意識の幻覚を引き起こすので, 慎重でなければならない,静坐は心を掃き清め,坐って性中の天を引き出す。

 四、「性功」が不足して,「命功」が足りない。提示:性功は「教則」・「教約」に建立される,廿字を勤めて行ない,人生戒・奮闘戒・平等戒・大同戒を遵守して,知行合一となる。命功は,清心寡欲が重要であり,精・気・神を内化する。静坐を勤勉に修め,煉神還虚の境地を身体で悟る。 天帝教の同奮は法則を理解し,人の身が得難い機縁であることを把握して,苦しい修行を行なえば,自ら「無為の有為」の境界を成就する。

玄玄上帝:  

伝示日時:二〇二〇(一〇九)年十二月二十四日
聖訓583号庚子年十一月十日戌の刻

先天天帝教が本地球に再来し,人間界で復興してすでに四十年になった,遠見と観察は天帝教同奮が共同で思考しあい対する大事の因縁である。極初大帝は第一天命の時期に,道統衍流を伝示し,復興の前因を作った,一九七七(民国六十六年)アメリカから台湾へ帰り,米ソの核戦争が焦眉の急に迫っているのを見て,上帝の教えが再来するよう哀求し,天帝教の復興を決心し,心を天 下蒼生につないだ。

復興前後の二つの四十年を総観すると,三期末劫の気運は行・清・平から今の春劫に至り,世運は第二次世界大戦から朝鮮戦争・ベトナム戦争・アフガン戦争,およびペルシャ湾戦争を経て,目下の新型コロナウイルスの全世界席捲に至るまで,人類は種々の艱苦な挑戦に直面している,この中から人の価値と理性の力量を現し出すことは,いずれも上帝の慈悲心と潜移の黙化に存している,同奮は心に感恩を存し,共に反省して,努力の方向と目標を確立する。極初大帝が天帝経を復興した歴程を回顧すると,中華民国宗教哲学研究社から中国正宗静坐班を開催し,天命救劫使者を養成して,国家・民族・全人類のための祈祷誦誥の願行を啓いた。天帝教復興後には:「上帝は私にどう行えとは決しておっしゃらなかった」と言ったが,なおも天心を善く体し,精力と心を尽くして,まず教綱を定め, 弘教の依拠を建立して,教義精神を助け,人間界に教えの基礎を打ち建て,帝教総殿の準備と設立を行い,昊天心法急頓法門を公開して伝え,三期末劫にあい対した,これは天人合力の典範であり,復興節の同奮に対する啓示でもある。復興四十年,回顧と展望は,規則を頑なに守るのではなく,精神領域を開拓し,根本から救い,人心を導く力量となるよう改造するよう培養して,上帝から賦予された救劫使者の使命と任務を円満に全うするのである。

極初大帝:  

伝示日時:二〇二〇(一〇九)年十二月二十六日
聖訓584号庚子年十一月十二日午の刻

西暦二〇二〇年,民国一〇九年の十二月,まず二十一日は天帝教復興節で,先天の天帝教が再度人間界に降臨し,世界の核戦争による毀滅浩劫の化延を時代使命任務として,今に至るまで四十年,人間界では「千人祈祷大会」が開催され,全教の光殿がある所では,同時に祈祷誦誥が行われ, 教主上帝に祈求した,人間界の春劫はますます激烈になり,人類の生活と生存の空間に危機が及んで,人類の共業が大反駁まで累積されていることが俯視される,救劫の天命は重大な挑戦と試練に直面している。四十年の復興節は,過去を詳しく見つめ,未来を展望して,新しく改め古いものを取り除き,現状を突破して,行なえることを行う,流れの中に柱を建て,救劫・救世・救人の天命を承担する。

 今日二十六日は伝道節である,天帝教が再度人間界に降臨し,私、天人老兵は天帝教の同奮を率いて,無きから有りに至らせ,救劫弘教し,常に奮闘して,心に感恩を存し,上帝を信仰する心は,堅く定まり移ることはない。「信」は,信心を堅く定め,決して動搖しないことで;「願」は,願力と展望があり,天に対し責を負い,教に対し忠を尽くし,人に対し力と心を尽くすことで。宗教の「教化」は着実でなければならず,「行」 があり,私心なく誠意を示し,団結奮闘してこそ「伝道」には意味と目的がある。成ったものを守ることは難しく,守るには進取を思い,融通を知り,このように厳しい時代環境に直面して,それに応じ調整してこそ,未来がある。革新・革心は,まず反省から始める,生命と組織制度を詳しく見つめ,心から新たに出発する。

 

 


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この小誌はドキュメントであり、フィクションでは有りません。
本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。