宗教法人 天帝教

天帝教では、あなたが何処の天界からどの様な使命を受けて
この人間界に降臨したかを気付かせて頂けます
従って死の恐怖は払拭され使命感に満たされた人生が約束されます

最新の聖訓

一炁宗主:聖訓 212号

二O一八(中華民国一O七)年五月十三日
(107)帝極(参)天字第二一二号
二O一八(一O七)年五月十二日
戊 戌年三月廿七日 酉の刻

開催された法華上乗正宗静坐班においては、静坐班学習者のために「超薦
法会」が執り行われたその基本的な考え方は:

一、一般には:生命体はもともと借りの催促を伴っており,もし低い熱準・低い能力の段階から上に向かって修持を行い、中程度の熱準・中程度の能力の段階に至れば、元々低い熱準・低い能力の段階にあった因果の業力は借りの催促ができなくなる。その道心が退き、熱準が減少し、能力の段階が低下するのを待ち、ようやく気を伺って催促をする。正宗静坐班に参加した
時に「超薦法会」を執り行うのは、すなわち学習者個人の業の力に即時の慰めと浄化を与え、徳を進める修業と心の奥深くの修煉を助けるためである。

二、因果業力の完済は、必ず自身の精進修持を通してでなければならず、皇誥宝誥を奉読し、天下の蒼生のために祈祷し、日常生活の修心・修德・修
身・修道に呼応してこそ、「超」と「薦」の功があり、お互いのしがらみを化減でき、霊能と霊階を提昇させることができる。

三、天帝の立教は生まれて休むことがないことを教旨としており、同奮が功徳を立てることに導き、培功立德、運命を突破して、業の力の束縛を断ち
切り、自ら命を創造させる。法華上乗正宗静坐班に参加した時から開始して、 自ら立ち自らを強め、自ら奮闘して、後天を突破して先天に戻る。

四、静坐班参加は修道の機であり、油断するとすぐに失われてしまう。今の好機を失わないよう大切にして、立ち上がって奮行すること。

首席正法文略導師:聖訓 167号

二O一八(中華民国一O七)年四月二十日
(107)帝極(参)天字第一六七号
二O一八(一O七)年四月十八日
戊 戌年 三月 三日 午の刻

風雲変幻が先覚できるのは誰だろう。上元龍華期間の中心日である天運戊戌年三月三日に、同奮は如何に先覚するか。未来のことを洞察し、世局の変
化を明白し、奮闘を通して心気、身気、霊気を安定させ、身・心・霊を安定させることにより、自修、同修、共修を実践するのである。

この時期において、「天命・信心・奮闘」はますます緊迫性と重要性を生じる。世運、道運、気運が次から次へ起こり、その勢いに応じ心を起こすの
で、三要である「信・願・行」を以って下までを貫ぎ、力行すること。本教の宣教は地域と人種を問わない。寰宇は天帝に帰し、天帝の教化の及ばない所はない。

アメリカ・日本・カナダに奮闘の同奮の足跡と成績が存在している。これは天帝教が世界に普及する拠点である。上元龍華会の期間において、同奮に
共に参与するように、大いに激励する。誦誥・誦経は道心を凝集し、道気を団結する直接行動であり、普段、五門功課を力行し、教則を奉行し、上元龍
華会の誦誥・誦経を通して、心・気・徳を一つにし、上は天心に呼応し、下は人心を貫くことは、集団奮闘であり、天命意識の凝結であり、道心を団結
する最適な表現である。天人が相応じることにより、道運を啓し、世運を転じ、天運を定めるのである。

玄玄上帝:聖訓 176号

二O一八(中華民国一O七)年四月二十日
(107)帝極(参)天字第一七六号
二O一八(一O七)年四月二十日
戊 戌年 三月 五日 午の刻

人間の顔表情は大体その人の内心状態と情緒反応を代表している。文化、種族、言語、文字を跨って、人間の基本情緒は六つあり、憤怒、悲傷、恐
怖、気持ち悪さはマイナスの情緒に属し、プラスの情緒は嬉しさ、楽しさであり、驚異は中性に属するものである。マイナスの情緒は人の体に存在し、
持たれた働きと意義は警告作用である。物質文明の高度発展により、人間にとって精神面の疾病が最も厄介であり、本来の調節機能が失われ、早期警戒
の能力が失われ、自然に正常状態も失われている。

情緒に直面した時、プラスの広々とした心で応じ、平常心で平然として受け入れること。自分を赦免するこそ、人を赦免するになり、それでこそ天赦
を得ることができる。適切な表現方法を学び、情緒のために適切な出口を見つけること。「致中和」(※中庸に達すること)。「喜怒哀楽のまだ発していな
いのを、中と言い、発して皆中庸であるのを和と言う。」、「中庸に達すれば、天地は正しく位置して、万物が育つ」。同奮にとって、この道理は日常
修持の五門功課のことである。特に反省懺悔は、情緒を調和する良薬である。この道理を 天帝宇宙大道の会得までを広げてみると、救劫・行劫は一
体両面のことで、個人から大宇宙まで、この道理に従わぬ行いはないだろう。深く考え、実行せよ。

首席督統鐳力前鋒:聖訓

二O一八(中華民国一O七)年三月廿五日
(107)帝極(参)天字第一二八号
二O一八(一O七)年三月廿四日
戊 戌年 二月 八日 午の刻

二〇一八年二月度の各教院、教堂、道場の弘教資料統計を審査し、指示する。

一、時代は変わっている、潮流も変わっているが、同奮の道心は変わらなければ、当面の瞬息多変の国際情勢、両岸関係、及び善悪不安定の人心波動に呼応することはできない。弘化に努める同奮は、帝教の書籍、典籍及び現代の新知を含む個人の後天の知識を充実させながら、弘教の理論を豊富すると同時に、五門の功課を勤勉に修行し、先天の知恵を開発して、己を正し、人を化して、「正己化人」の実績を体験していく。一分の耕耘で、一分の収穫である。

二、弘教は原人を引度し、教院のために新しい活力を注ぐことである。神職開導師及び教長、執事などの教職は力を合わせ計画を立て、団結して奮闘して赴いていく。毎月の親和集会を重視し、同奮と繋がって、向心力を親和し、道心を増強する。多元化の課題を取り入れ、同奮の教義、経典、時代使命の知識を豊富にする。又は、修行に対する感想の交流、子供の教育、飲食保健など、同奮が積極的に参加すれば、天人は常に対話を行う。

三、安悦奉献(※毎月、定期に奉献すること)は、日常の運行を維持する道糧で、同奮の自己能力内の奉献があってこそ、安定の道場を皆様に提供することができる。同奮は皆、発心し、安悦奉献をしながら、勤倹に天帝教を建設し、救劫弘教の使命に役に立てば、長く遠くなることができるだろう。

首席督統鐳力前鋒:聖訓 100号

二O一八(中華民国一O七)年三月九日
(107)帝極(参)天字第一〇〇号
二O一八(一O七)年三月五日
戊 戌年一月十八日 午の刻

二〇一八年一月度の各教院、教堂、道場の弘教資料統計を審査し、指示する:

一、天帝教の中心思想である「親親仁民」は、行動でまず自己の父母、兄弟、姉妹、身内を愛し、その後、一歩一歩ずつ広げて、社会民衆、血縁関係のない同胞を愛し、「天下蒼生を愛することによって、天下蒼生が救われるのになる」の意義と内   含を深く会得するのである。

二、救劫弘教において、宗教者の誠心、愛心を発揮し、天帝真道を高揚し、原人を広く済度する目的を達するのである。同奮は身を以って力行し、公開の弘教布教の活動に積極的に参与すること。日常の個人の言行挙止は、全て、
注目されていることで、常にこの観点を以って行動せよ。

太虛子:聖訓 105号

二O一八(中華民国一O七)年三月九日
(107)帝極(参)天字第一〇五号
二O一八(一O七)年三月八日
戊 戌年一月廿一日酉の刻

天運、道運、気運、人運は互いに関わり合い、世界の情勢、人類の運命は極大な転折に直面しているのである。ある暗晦の気は満を持している状態である。気候の極端変化は万物の目覚める啓蟄に潜んでいる。

洲と洲の間、国と国の間、人と人の間に二極化の形成を引き起こす。一つは境界がはっきりしていて、一つは相互に交錯している。春劫に駆動された状態で、当面なお混沌の現象である。

天帝教は自然環境から引き起こる危機に直面している。高度な覚醒及び危機意識が持たなければならない。台湾の前途も更なる厳しい試練に向き合わされる。台湾内部にある二極化も一層深刻になり、多元社会が来る同時に台
湾の社会問題も尽きのない程、次々と現れ、政経、教育、民生などの異なる類型の問題が隠隠として発動を待っている状態である。台湾の人心は頼るものがなく、真偽を識別できず、見極めるのもできない状態にあるため、

如何に足元でしっかり立つか、如何に出発するか、宗教は空虚な心霊、無力の心理を慰めるのである。計画を適切に立て、戊戌は劫に遭われる年であり、運が転化される年でもあるから、極める窮地に所在しても生機が現われる、

枯れた樹木も春に巡り会える。よく大切に把握すれば、新たな景象が生れてくるであろう。

李特首相:聖訓 82号

二O一八(中華民国一O七)年二月廿四日
(107)帝極(参)天字第〇八二号
二O一八(一O七)年二月廿四日
戊 戌年一月九日午の刻

天玉神殿副殿主の天命令を頒布する:

玉成殿副殿主及び玉神殿副殿主は共に第廿五天阿佐天天王であり、玉成殿副殿主に留任される。第廿七天玄明天天王を玉神殿副殿主に派遣する。

 本令は天運戊戌年一月十五日より発効となり、三界十方に公表し、一同に遵行すること。

 天運戊戌年一月九日午の刻頒布

紫微大帝:聖訓 73号

二O一八(中華民国一O七)年二月廿三日
(107)帝極(参)天字第〇七三号
二O一八(一O七)年二一日
戊 戌年一月六日午の刻

天運戊戌年の教財迎啓及び功徳円満加持法会の各表文、祈願文はすでに上達され、福徳道宮において一冊に登録され、鐳力阿道場で各委員、奉献同奮、極院、始院各部署並び各教院、教堂、親和所の代表同奮へ加持された。その後、各地の教院、教堂、道場において教財迎啓儀式が挙行され、福徳道宮にはそれぞれ使いが送られ、金光・祥光・福光・平安光・智慧光・財はく光が加持されることによって、同奮の一年以来の奮闘の道心を堅持することを激励し、新しい一年において天命、信心、奮闘の精神を継続に貫徹し、戊戌年の救劫、弘教、渡人の行動を広く開かせるのである。

 天帝教は救劫の宗教であり、宇宙大主宰はそうぼうを憐れみ、極初大帝の苦心祈請に応じ、天帝教を人間界に復興させた。全教同奮が心を合わせて奮闘し、救劫救世の道場を台湾各地へ普及させたと同時に、遠くの日本、アメリカ、カナダなどの国へも伝わったことは、同奮の心を出し、力を出し、金銭を出す奉献よるものであった。無形において、 天帝の真道には地球で再び光が照らされ、基礎を深く根を植えるため、諸天の神仏聖真が喜んで運化と庇護を行うのである。

 修道人が三千の功と八百の果を培さなければ、道を得て天に飛び上がることはできない。天帝教の同奮が修練するのは昊天心法急頓法門であり、更に功を培し、徳を立てることを重視しなければならない。このことができれば、宿業を消し除き、安らかに坐り修錬をすることができるようになる。機会を把握し、教財奉献に参与するのも功を培し徳を立てる重要な功課である。人生は極めて短く、有形の財貨は到底持ち去ることはできない。無形の道功(道の技)と功徳は実は天界に戻り、帰巣復命の頼るところなのである。深く考えよ!

首席正法文略導師:聖訓

二〇一八(一〇七)年 二 月 十 日 丁
酉年十二月廿五日 申の刻

上帝様の玉和殿で開催された「七政報告会議」におけるお示し: 

一、各天体の運行規律を調整し、相互間の引力強度を安定させ、和諧の律動を確保すること。

二、各天体の生気を強化し、生々不滅の活力を現させ、人間界の真の修行を援 助し加持すること。

三、各天体間にお互いに補い合い、助け合うことにより、生命の周期を長く延びさせ、衝突による宇宙の和諧秩序に影響することを防ぐ。  

玄玄上帝:聖訓

二〇一八(一〇七)年 二 月 十 日
丁 酉 年十二月廿五日 巳の刻

日本国教区の救劫弘教策略は、「玉和殿」、「玉忠殿」、「玉京殿」の三光殿の合併設立に対応、関連しており、各自の位置でしっかり守れば、教化が施行され、感応も現われるのである。 

「玉和殿」は日本国主院の教壇で、主院の権力及び責任と呼応している。

「玉忠殿」は東京都掌院の教壇で、掌院の任務を応化している。

「玉京殿」は葛飾区初院の教壇で、初院は地域の救劫弘教の任務を担っている。

人間界における天帝教始院の日本国教区公署は組織制度を計画し、大和民族が自分で責任と義務を背負うことを以って、指導の原則にし、日本同奮には自己のことを自己で処理し、負担することにより、日本国教区に自己で動きかけ、宇宙大道を広く宣揚し、道徳を改めて整えさせ、精神を再建するのである。 

計画から着実になり、着実から根づくまで日本同奮は心を一つにし、協力し、物事に当たり、宗教の教化の真理と宗教の組織制度の働きを理解し、人、 事、地、物を自己管理する。特に金銭のこと、収入を計り、支出するのである。

道を開き、道を修めることは修行の真の技である。人間界において、秩序と道理 に従って行えれば、無形からも何かの働き掛けがあるのである。 

日本国の五大神媒は日本国弘教を拡大させる心を持っているが、天人の間に 「親和」ができないことは、応化、感応も縛られてしまうのである。

教主 上帝様の巡行の機会に際し、主動的に助命と援助を求める。 

上帝様よりのお示し:

天人合議し、組織層を分別し責任を負い、天帝教教綱の組織制度を適用すること。 

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本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。

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