宗教法人 天帝教

天帝教では、あなたが何処の天界からどの様な使命を受けて
この人間界に降臨したかを気付かせて頂けます
従って死の恐怖は払拭され使命感に満たされた人生が約束されます

最新の聖訓

極初大帝:聖訓 524号

二O一七(中華民国一O六)年十二月廿九日
(106)帝極(参)天字第五二四号
二O一七(一O六)年十二月廿六日
丁酉年十一月九日 午の刻

天帝教復興三十七年周年及び伝道節には、本席は坤元輔教と一緒に全教同

奮と共に天帝教救劫弘教任務の発展を祈り願う。同奮は共に救劫、弘教、渡

人(人を渡す)任務のため、団結奮闘し、皆ん勇猛に向上し、天の表彰掲示の

登記を目指し奮闘している。

本席は以前に示した:地球上の人類は今日、この空前絶後の危険な日に生

存している。一切絶望、最後は自ら滅亡を招いて、共に滅び、共倒れになる。

ただあるのは、早急に人の身元から自救し、 上帝に過去の過ちを寛大に許

して下さることを哀求して、真心こめて、天帝の先天真道が再び地球に降り

て来ることを待ち望み、危険が安全にと転廻し、大地が回春し、人類に永遠

の幸福を持たす。これこそが「どうして地球上に先天天帝教が復興される道

理である」。同奮は復興天帝教の心こめた思いやりを深く考え理解し、これ

によって進んで行動を取る。

伝道節は本席が證道日(天に帰られた日)に、全教同奮が黄庭にて、又各光

殿で、感恩追思の気持ちを現した。本席は同奮が決心して発願するを希望し

ている。謹んで天命に従い、師命に服従し、「自分のために思い巡らすこと

をせず。個人の福報を求めない」、この犠牲奮闘精神を伝承すること。更に

明らかに示すのは:「願わくは、われの 上帝、三民主義統一中国を手助し

て下さい」「念茲末劫の今日、宇宙真道が地球で再び光を浴びてくださるよ

うに」、これは先天天帝教の台湾復興基地での大志大願である。正宗静坐班

の基礎教育から始めれば、導くことができる。師匠から弟子へと代々相続す

ることができ、尚且つ、先人の後を受けついで、新しく発展する端緒を開き、

これによって前人の事業を受け継ぎ、将来の発展の道を開き、天帝教が人間

界で復興された最終目的を完成させること。

極初大帝:聖訓  522号

二O一七(中華民国一O六)年十二月廿九日
(106)帝極(参)天字第五二二号
二O一七(一O六)年十二四日
丁酉年十一月七日 酉の刻

人間界の天帝教第16 回天人実学研討会開始より、続いては、「天人合力の

大逆転」、更には第三十七年目の復興節、本教の責任は重い。

「大逆転」では同奮の「自分のために思い巡らすことをせず、個人の福報

を求めない」奮闘心志の感化を続けられている。宗教の教化は知らず知らず

の内より少しづつ感化していく。実務に励み、本性に励み、平常には五門功

課の努力実行から取りかかり、努力実行によって、漸く得ることができる。

宗教修養、宗教情操は「宗教教育」、「宗教教化」の根本である。

無形の各殿殿主は「大逆転」以前に「聖訓教化」の方式で積極的に率直に

人心を目指した。即ち、「天人合力」、「天人相応」により、同奮が自己省

し、天帝教に皈依した当処の初心は何であったか?救劫使者としての天命は

何であるか?によって、自らの向上を求めるのだ。修道は「自我察覚」と「自我修養」を重視して、至る所、腕前であり、至る所、修行であり、明るくて清らかであることを保ち、声、色、物、利に誘惑されないことである。先天天帝教復興は三十七年目になった。同奮は次の事を復習せよ:「どうして先天天帝教が復興されたのか」?「天帝教は何のために人間界に降り来たのか」?奮闘の本来の意味をよく知れば、同奮の天命と使命に対して、激励作用ができる。

(訳者:緒錬/校正指導:正賞)

三期主宰:聖訓 510号

二O一七(中華民国一O六)年十二月廿二日
(106)帝極(参)天字第五一〇号
二O一七(一O六)年十二月十八日
丁酉年十一月一日 午の刻

 天運丁酉年十一月午の刻に「大逆転」作業を執行した。われは主帥としての職責を持って天盤の向きを変えた。われと共に司職された神様方はすべて慎重な態度で物事にあたった。一分の隙間もない構えで待った。天紀天律を奉守し、もって天命を行い、無生聖宮では数多い鐳能(エネルギー)が使用され、金闕の「鐳都」で転化され提供された。極初大帝は「鐳炁真身」の大きな法力をもって媒介させ、二つの鐳が互いに引用し運用し、「天時、地利。人和」三元のつながりを連結させ、「天曹、人曹、地曹」三曹が共振し、同奮が各光殿での熱準と鐳能、鐳都及び鐳炁の大きな法力と組合せ、道運の脈絡を打ち開き、すでに順序外れの世運と気運を逆転させた。

 「大逆転」って、人間界の”量子もつれ”のねじり合い、駆動変化の説法に一番近いであろう。一つは「鐳能」をもって全面に応化させ、また一つは「鐳都」をもって全面的に支援し、願わくは「自分の身を持って民の罪を贖う、世俗に降りてきた縁をすっかり悟り、九二原霊を取り返す。」願力を完成させ、天を仰ぎ向き神の恩徳のおかげで、今日の「大逆転」の任務が完成された。各位の上聖高真に感謝いたし、応元神様にも感謝いたし、また全教同奮の呼応の力に助けられ、天人共に相親しみ、天人共に相応し、努力は無駄にならなかった。

極初大帝:聖訓 511号

二O一七(中華民国一O六)年十二月廿二日
(106)帝極(参)天字第五一一号
二O一七(一O六)年十二月十八日
丁酉年十一月一日 午の刻

われは副帥として「大逆転」が発揮された状況を説明する。

一、三期主宰は主帥として、「五十九回あまりの三期を主宰」された経験を生かし、この本地球が目前に無知な世界(小混沌)に直面する前に本系統の星を速やかに救助する為、「大逆転」を施行された。われは「鐳炁真身」の修錬と修持の成果に融合させるのだ。なぜならば、同奮は心構えがある。「両誥奉読」の浩然正気と呼応したことに借り、「大逆転」は順調に円満に終わった。

二、「救劫より急ぐことは他にはない。」同奮達の修持修錬は一刻も遅らされてはならぬ。「真修実煉」「性命双修」がなければ肝心な時に、ただ「人」を転介点とすることには不安定性がある。「すべての法力はただ心にあり。」今日全教同奮達は犠牲奉献の心構えがあり、五門功課を実行し、両誥奉読を行い「身を捨てても奮闘するのは自分自身の為ではない。」われと同奮とは心と心を合わせ、心と心がつながり、そして霊と霊を一つに合わせ、霊霊相応、天心は人心とつながり天人一体となって任務を完成させた。

三、「両誥奉読」は救劫の神通力のある宝物であり、同奮が「自分のために思い巡らすことをせず、個人の福報を求めない」表現でもある。引き続き人生守則を奉行し、廿字真言を修身の規準とし、正しい目標に向かい修持をする。常に継続に静坐している同奮の気は体内に留まり全身に回り、心は容易に外に出ない。霊の昇格作業に適応する。普段はあまり静坐していない同奮は堅い気性が外に現れ、心が動き易く、怒り易くなる。霊の昇格をする時には身、心、霊の調和が良くとれない。「静坐の腕前」を強化して気の涵養を行う。心を体内に集着させ、静坐をして智慧を啓開せれば、修行に有利になる。

 

四、「大逆転」の大きな法力は道運、世運と気運を連結し、三つの時間、空間のつながりをつけ「宇宙が清く澄み渡れば」「混乱をしずめて正常に戻す」ことができる。聖宮の鐳能(エネルギー)は一つの大きな助力である「陰陽の炁はひと触りすれば、すぐにも正か邪の判断ができる。」正炁をふさわしく発展させ、法界での気は共に連結させ、補助的な中帥であれ共に同時に運行させれば「大逆転」は円満かつ功績を得ることができるのだ。

まさに「天運、人運、道運」を取り返す時の始まりである。

無始古佛: 聖訓 514号

二O一七(中華民国一O六)年十二月廿二日
(106)帝極(参)天字第五一四号
二O一七(一O六)年十二月十八日
丁酉年十一月一日 午の刻

 「大逆転」の作動は「天、地、人」の三曹、及び「天、地、人」の三才を結合し、「天時、地利、人和」に合わせたものである。そのうち、「陰陽無形を有形に化する(※陰陽無形化有形)」は、「先天と後天」を結び合わせ、「天人」を貫通し、「無形有形」を結合させ、働きに呼応させる。私は「弼三才而主三界,佐一炁而復一元,三期輔主宰…主宰乾坤之更新,元帥宇宙之改革,三界神師(※宝誥誥文:三才を輔佐し、三界を主導する。一炁を補佐し、一元を復元する。三期において主宰を輔佐する…乾坤を更新する主宰であり、宇宙を改革する元帥である。三界の神師とする)」で、大逆転の副中帥の首座として任命され、天人の作動はまさに法法連接で、乾坤を転じ、陰陽を移すことである。時間系列の転換、道運の帰正、気運の暢達、人運の還元など、将棋倒しのように些細な動きが全局に影響してしまう。私が諸副中帥を率いて主帥の任務を引き継ぎ、天上人間における「大逆転」を完成させる。

 全教同奮は自発的に修身養性を行い、主動的に天人の「大逆転」任務に参与した誠心誠意は、天が感動されている。「誠は天の道(タオ)なり。これを誠にするは人の道なり。」現在、三曹は位置付けが行われて、道運、世運、気運は本来の春劫総清の軌道に転回されている。秩序は乱れなく、法輪は常に回り、「先天正気、乾坤有象盡成象(※宝誥誥文:先天正気により、乾坤(天と地)にある形象、万世万物が元の秩序に戻る。)」である。

首席正法文略導師:聖訓 513号

二O一七(中華民国一O六)年十二月廿二日
 (106)帝極(参)天字第五一三号
二O一七(一O六)年十二月十八日
丁酉年十一月一日 午の刻

 無形の「鐳炁真身大法」を運用した「大逆転」について

 鐳炁真身大法は、無生聖宮が人間界の初代首席使者のため、特別に生み出された超高な真の修行法門であり、豊かで堅実な後天静坐修行の道行(修行の技能)並びに先天の善良な本質、また、後天の道品、道徳、道行が必要となる。

初代首席使者の肉身は、1994 年(民国83年)に入寂され、今は無形の大法となり「媒介」したり、「転嫁」したり、更に力を借り力を用いることは、高難度の動作と言える。現段階の救劫の力は虚弱で、行、清、平、春 の行劫の魔道は猛り狂い、応元救劫の諸上聖高真も極めて憂慮している。

金閣会議の中で、各殿の殿主が「教誨(キョウカイ=教え諭す)、警告、注意」の方式にて全教同奮を励まし、士気を引き上げ、救劫道気を高め、付きまとわれた瀰漫(ビマン=広がりはびこる)して拡散した魔の気風に対抗するよう、同じ考えに達したため、各殿の殿主はそれぞれ違う因縁、違う時機に応じ同奮と親和するように降臨してきたのである。 

 劫は人間が造り出したもので、化解するのも人間にある。三期末劫の重要な形勢を安定させるため、三期主宰は玉石倶に焚くような状態に堪え忍べず、  天帝に「大逆転」を施行することを奏請(決裁を請う)した。 

「熱準安定」は天人が同調して作業する鍵であり、参与した同奮は自発し正気を培養し、身心霊を安定させると同時に「原霊合体」を通して霊を霊に合わせる。まず「心と心を合わせる」、更に「霊と霊を合わせる」原霊熱準の合力を形成し、身、心、霊は同心して一つの念願を以って「大逆転」救劫に参与する。

霊気の大凝集により「炁と気を連結する」「炁と気を合わせる」ことにより、「天時、地利、人和」の共振を完成し、時空の運化を転化させ、次元空間を突破し、屏障(ヘイショウ=目隠しになる物)を取り除き「人心を天心に合わせる」よう共振と共化を同様に行い、力を借り、力を用いる任務を完成させる。 

私は,「誓願應劫運,永劫濟黎民…運玄炁澄清魔氛…普渡寰宇…急開帝教萬世基運,為天人大導師,做救劫三期主」のように、初めて「大逆転」を執行した。これは、天人合力で共同して、極めて不可能である任務を遂げることである。

浩瀚(コウカン=広大なさま)とした  上帝様の恩沢(恵み・情け)感恩に、重ねて感恩する。

先天一炁玄福子:聖訓 508号

二O一七(中華民国一O六)年十二月廿二日
(106)帝極(参)天字第五〇八号
二O一七(一O六)年十二月十七日
丁酉年十月三十日 酉の刻

第十六回天人実学研討会は円満に終わり、参加した同奮は喜び勇んで、お互いに頻繁に発問し、主催部門も非常に心を使った。

水を飲む時は、その水源を思う。初心を忘れてはいけない。

天人合一「真修実煉」は、多方面に交流を重ね、物事の特徴に念を奪われず、物事に執着しなければ、必ずや別の境界に達するであろう。

基本の腕前を造築するには、まず静坐の基礎を打ち立てること。

人身には肉身がある。七情六欲の邪魔は一切自然に任せる。自然に任せることを変えぬことで、静坐修身の重要性が自然にわかる。「心にあるゴミを掃除し、静坐により性中天を作り出す」

煉心は初歩であり、また手を下し始める所でもある。恭しく自ら静坐をして、それを研究することは道案内の灯火でもある。 

静坐は、人が水を飲む事と同じく冷たさ暖かさは自分でわかる。定めた時間に静坐をし、生命の中に溶け込ませ、生活の中に溶け込ませ、深くその境界に入る。もし、一旦、後天の感覚器官の知覚が落ちれば、先天と連結する道は切れてしまい、昊天心法を手に入れることは容易ではない。

一日座り、毎日座り、永久に座り、足が地について行く様に、着実に時間どおりに静坐をして、その腕前を長い時間にわたって少ししずつ積み重ねれば、月日が経つうちにその真相を見出すことができる。 

昊天心法は、生き生きとして、又、おのずから自然になり、人為的な作用を少しも加えず、時勢に順応し心を込めて静坐をすれば、体の病気を取り除き、長生きができ、修身修霊、一挙両得である。

首席督統鐳力前鋒: 聖訓 512号

二O一七(中華民国一O六)年十二月廿二日
(106)帝極(参)天字第五一二号 
二O一七(一O六)年十二月十八日
丁酉年十一月一日 午の刻

「大逆転」において、私と文略導師が極初大帝に呼応し、「鐳炁真身大法」を媒介した。

「鐳炁真身大法」は本来、首任首席使者が二名の聖祖師の特別指導の元で、肉身を苦しめながら修得したものであり、現在「媒介」「転嫁」に用いられ、三位一体は今日再び合体し、合力合炁を成し、本地球の気運を調和させている。

同奮各位には自動自発で五門の功課を力行し、身、心、意を清め、心を清浄にし、思慮を洗滌し、斎戒斎食をし、自ら熱準を上げ、修行を高め、天人で同時に行う「大逆転」作業に呼応していた真誠の心がよく見えた。 

救劫使者一人一人の発心立願の誠心を通して鐳炁真身大法は、炁で気を引き、先天炁で後天炁を引き、天と人が互いに交流し気を融合した。

また、同奮各位の原霊も来られ、再び合霊し、再び上昇し、再び先天の炁と結びつき「気で気を制御する、気で気を引く、気で心を制御する、気で物を制御する。」の過程から「炁で気を制御する、炁で気を引く、炁で心を制御する、炁で物を制御する」高熱準の能(物事を成し遂げる事の出来る力)段階で、「大逆転」作業の順序に入り、天と人が共振し、同調し転化した熱準を徐々に高め、引き上げ、人間界における各殿の神媒より一挙に運化を行い、同調し呼応した。

副中帥と副小帥も共に力を尽くし呼応し、人心が天心に呼応して、今回の大任務を順調に達成することができた。 

  私は「幸いに三期に応じることができた。」

今をもって、鐳力を運化し、万霊を造化する…大地の毀滅を救うため…宇宙の先鋒になるよう誓い…系星の劫運を転換する」。

教主 上帝様の徳沢に感恩し、天恩は正に広大であり、天は人の願いに応える。

中正真人:聖訓 47号

二O一七(中華民国一O六)年十二月十五日
(106)帝極(参)天字第四七号 
二O一七(一O六)年十二月十一日
丁酉年十月廿四日 午の刻 

 世は乱れ、時は危うく「大逆転 」は目の前に来ている。

それなのに中華民国の執政当局は、「正義転型促進条例」可決を政治的な業績としている。 これが魔の道が力を借りて発揮しているものであり「大逆転 」の勢いを阻害している。私はここで注意を喚起しよう:

一、三十年余にわたって全教同奮に両誥を誦持させ「天下蒼生を己が人とする」と「万事救劫より急ぐものはなし」によって、波のように押し寄せる行劫、清劫、平劫を完全に除き去り、抵禦(テイギョ・防ぐ)し、劫気を余孽(ヨゲツ・切り株から生え出た芽)の侵擾(シンジョウ=攻め込んで乱す)に直接相対し、遂に道心を守ることができ、無形救劫部隊の「救劫任務」に呼応し、毎回最も重要な時期に、天人相応じ「核戦争一発触発」のアフガン戦争、湾岸危機、米ソ衝突などは、全教同奮が一心一徳団結奮闘した力により、狂気の波が取り除かれ「劫難」は、再度再度引き延ばされ今日の局面がある。今、三曹共同で「大逆転」方案を執行することは、一切の「大逆転」を主軸としており、最も重要な鍵になる時刻には、何らの間違いや乱れは許されない。  

二、「和」を前提とする。

忍辱を重く負い、怨恨を積まず、いかなる誤解、衝突、対峙間隙も一歩引かなければならない。容れるところがあればすなわち大、無欲ならば剛である。   

三、「誠」が最も重要である。至誠にして休むことなく、誠を中に形を外に、敬虔に誠意を尽くし天に仕え、人に対し真誠をもってすれば、誠は人を感じさせ、誠は天を動かし、誠は諸々の天媒を感じさせ「大逆転」を護持する。 

四、「敬」を儀礼とする。

敬天 、畏天 、法天、敬を第一にし、恭しい敬いを尽くし、行礼は儀の通り、心で恭しく敬い、心を清淨にし、莊厳粛正であり、誠敬をもって待し、自重自愛する。 

同奮の間の相互尊重、相互注意喚起により、急がず慌てず、温和で優雅になり、浩然正気を養って、至大至剛、至正至柔となり、中正より大に至り、心を一つにして共に「大逆転」へ向かうように。   

天照大神:聖訓 516号

二O一七(中華民国一O六)年十二月廿二日
 (106)帝極(参)天字第五一六号 
 二O一七(一O六)年十二月廿一日  
丁酉年十一月四日 午の刻 

私は玉和殿の殿主で、日本教区に対し期待している。 

 一、人身は得難いものだが現在得られている。大道は遭遇し難いものだが現在遭遇している。賢明な師に巡り会い難いものだが出会っている。

今、この身を以って今世を済度しなければ、いつまで待つのだろう。

二、天帝の教化は広く照らしている。

だが、日本教区における弘法がなかなかできないことは、日本国にとって損失であり、私にとっても一つの大きな隠れた憂慮である。 

三、曠劫(長きにわたる大きな脅威)は遭遇し難しいことである。

同奮が習得した生と死を超えた静坐は、首代の首席使者の自ら証明した道を悟った修心の法門である。同奮は心をこめて「坐り」をして、日々に「坐り」をし、静坐のよい習慣を養成する。  

四、同奮は共に救劫使者である。

廿字を履践(リセン・実践)し、人生守則を力行する。同奮に奉仕し、同奮を助け、和諧に共存し、本分を守り、足ることを知り、助け合い、 協力し合う。 

五、五門の功課は「反省懺悔」から始まる。

心を清めて、思慮を洗滌し、 過去の過ちを悔い改め、善の道へ導く。

熱準を引き上げ、奮闘力を高め、人の過ちを隠し、人の長所をたたえ、日本の弘教を発展させる。 

六、日本弘教において、長期、中期、短期の目標を以って計画を立てること。

長く、遠くの計画で、日本の人情風土と融合させ、弘教に有利にする。 

七、「正しい」ことをした同奮を認めて、受容しなければならない。

人は聖賢な者ではない、誰でも過ちを犯す。度量を広め、人に宏量を持ち、理解する。一歩を後退すれば、海と空のように視野も広くなる。

互いに心気を知り、互いに惜しむ。このように対処できれば、弘教の道には同奮も伴ってくるに違いない。 

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この小誌はドキュメントであり、フィクションでは有りません。
本書は当時のまま校正もしていません。 日本人の持つ大和魂の価値感を呼び起こし、 今後の日本国復興再建に役に立つ提言と確信しております。

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